2015年7月28日火曜日

日本の中のインドネシア曲


可愛いあの娘 /  梶 光夫
 
 
オイラがガキの頃に一番歌ったインドネシア語の歌は「モスラの歌」だろう。そして二番目がこの曲のオリジナルである「NONA MANIS」であった。いや、日本解釈盤。確か小学校低学年。オイラの父親は日本コロムビア川崎工場でレコードプレス工をしていた。その関係で、家には日本コロムビアのレコードがウジャウジャあったのだ。多分、この曲も家でかかっていたのだろう。歌えるほどだから相当なヘビロテだったのではないか。でも、今から思うと、梶 光夫じゃないよなぁ、たぶん、デユーク・エイセスかボニー・ジャックスの「世界の民謡集」みたいなレコードだったんじゃないかな..全詞インドネシア語ではないけれど、キャッチーなメロディと「ヤンプーニャン」という、どことなくガキには覚えやすい不思議な言葉がうけたんだろうなぁ。「モスラ~YA!モスラ~!」と同じで。
 
ところで、このレコードの存在は最近初めて知った。少し前までは、「日本で日本語メーンで歌われたインドネシア曲」「インドネシア語が少しでも使用された日本語曲」のレコードやCDを必死に探していたが、アホらしくてやめた。では、なぜこのレコを購入したかというと、東映映画「可愛いあの娘」の主題歌というではないか。もしかしたら、インドネシア人のNONA MANISが出演しているのかと、早合点した、トホホ...オヤジはいやだね。この曲が映画主題歌になるほどまでになった経緯を調べる気は毛根ないが..
 
父親はオイラが小学3年の時に日本コロムビア川崎工場を早期退職している。退職金がよかったみたいだ。あばら家だった家を新築するつもりでいたらしい。家を新築する前に大量のレコードがなくなっていた。オイラはレコードがなくなって泣いていたらしい。母親が言っていた。父親が亡くなって後年、母に聞いた話だと、当時、父親は退職後の再就職が思うようにいかず、レコードを処分して生活費に廻していたらしい。オイラは同じ道を今、歩んでいるではないか!父親がレコードを処分しなかったら、日本語で歌われたNONA MANISという曲に、もう少し詳しかったかもしれない。でも今、父親の気持ちが痛いほどわかるが..
 
可愛いあの娘 / 梶光夫 :https://www.youtube.com/watch?v=YjIQVJB_jzY
東映映画「可愛いあの娘」http://db.eiren.org/contents/03000009485.html 






2015年7月21日火曜日

G.Kのカセットを聴く!①



四半世紀を超えるオイラのインドネシア音楽人生において、こんなにもガンバン・クロモン(以下G.K)のカセットを聴くことは今までに一度もなかった。

オイラがJKTで手当たり次第カセットを漁っていた90年代初頭、メジャーなカセット屋では、すでにG.Kの古いカセットはほとんど店頭から姿を消していた。G.Kを専門的に録音してきたレーベル、PARAGONでさえ、運がよければ一本あるかないかだった。ブタウィ文化の象徴的な大衆音楽のG.Kのカセットがこれほどまでに入手できないJKT、時はダンドゥット全盛期だったとはいえ、納得が行かなかったのを思い出す。

G.Kのカセットが量産されたのは、レコードからカセット・テープに移行した70年代後半と想像する。しかし、いかんせん、マーケットが狭すぎる。ブタウィ人相手のビジネス。既にJKTはコスモポリタン化していた。地方から様々な人種が流入した時代、採算あわず消えていくレーベルもあって当然だったであろう。

では、90年代にG.Kのカセットが発売されなかったのか、というとそうでもない。が、良質なG.Kのアルバムは思い当たらない。そもそもG.Kという音楽はレノン・ブタウィと一緒に聴く&楽しむ音楽であった。それを聴く音楽に押し上げたのがベニャミンであったであろう。四六時中、ライブはおこなわれていただろうし、何もカセットをわざわざ買って聴く音楽でもなかった。いや、現在でもそうした大衆音楽なのかもしれない。ただ、オイラ達みたいに現地にいない立場の者にとってはカセットという媒体がなければ、この音楽にズブズブとハマれないのだ。

今回、プランテーションさんから購入させていただいたG.Kカセットの数々。殆どが70年代後半~80年代前半のものと思われる。当時の息づかいが聴こえる痛快なカセット群で何とも魅力的であるのだ。

2015年7月6日月曜日

<インドネシア・カセット学①>


ベニャミンの「DUIT(お金)」というカセットには伊藤博文の千円札が舞う。エルフィの良質なカセットを発売したレーベル、プルナマのカセット・ラベルには岩倉具視がしっかりとラベルに張り付いている。聖徳太子の一万円札がインドネシアのカセットに使われたのはオイラ、しらない。なぜなのか...当時の貨幣価値で聖徳太子の一万円を入手することに無理があったのか、それとも...解決したいインドネシア・カセット学なのだ。





 

参考ブログ:http://asiarecords.blog.so-net.ne.jp/2012-04-19