Kue Onde / Benjamin S.
年々、高騰していくインドネシアのレコードには興味がなくなっているが、ベニャミンだけは特別なのだ。
1995年8月初旬、独立50周年の大規模ダンドゥット・コンサート(通称:スマラク・ダンドゥット)に備え早々ジャカルタ入り。ブタウィ文化臭が漂う、JL.Jaksaにいつものように宿を取っていた。ある夜、知人と二人でグロドックのダンドゥット・ディスコに入り浸っていた。調子こいて朝帰りしてみると、宿のおばちゃんから「昨夜、ベニャミンがここにきてたのよ」どうやら小規模のコンサートをやったらしい。「マジで、だってそんな情報どこにもないし、だれもいってなかったよ」オイラは泣きそうにおばちゃんに返答した。まぁ、よくあることだ。「次には絶対みるから」とおばちゃんと話す。しかし次がなかった。オイラが帰国した9月にベニャミンは急死してしまう。何たる失禁、いや失態、もう二度とBang Benを観れないのか!悔やみに悔やんだ。インドネシア音楽人生で最大の汚点だった。そのことがトラウマになり、20年経過した現在でもべニャミンのレコだけは何とか集めている。
一応、ベニャミンのデビューは上記本にも記載され、本人も認めている「Si Jampang」という10吋だが、どうもあやしい。EP盤と10吋の発売年数の差異とかを検証してみないとわからないが。オイラには上記Mesra盤は「Si Jampang」より前ではないかと疑っている。こうしたVAものは、オリジナル盤に比べ軽視されるのがインドネシアだ。もちろん上記本には一切この盤の話は出てこない。
ベニャミンはデビュー前 、クラブ等で欧米のポップス、R&B、ブルース等を歌っていた。60年代初期。しかし目が出ず、誰もやってないガンバン・クロモン(以下GB)に目をつけた。そこから売れるのである。上記EP盤の一曲は、BenがGB着手する以前の臭いがするし、ジャケのイラストも異常に若すぎる。バックのOrkes Prima Nadaの演奏もどこか60年代初期のような.....ちなみにROSSYなる女性は後にBenと何枚か共演する女性歌手だ。彼女もジャケを見る限り、まだ痩せていている。何の確証もないが、オイラのベニャミン魂をかきたてられたEP盤であることは間違いない。こういう話はジャカルタにあるBenのギャラリーに行ってわかるだろうか。オイラ的にはBenのコレクターと話した方が話は早いような気がするが。いずれにしても、この盤の存在で来年目標ができたわけだ。しかし、ほんとに来年ジャカルタに行けるのか...トホホ.....
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