2015年11月30日月曜日

<忘備録>

11月30日。 介護職に就いて5年半、初の4連休(もう二度とないなぁ)最終日。本当ならこの連休で大阪へ行きたかったけど、義兄の介護認定の問題とかあって叶わなかった。でも、楽しいこと沢山あったし、それなりにリフレッシュしたし...

今日は先ず墓参り。線香を買いに寺に入ると見たことのない写真が貼ってあった。昭和6年当時の京急港町周辺の写真で、初めて見た 。既に日本コロムビアのマークが燦然と輝いている。住職の話だと、近所の人が持って来てくれたらしい。オイラの父親が日本コロムビアに入社したのは、戦後。昭和40年代のこの辺の写真はガキの頃見せてもらった記憶があるが、さすがにこの写真には驚愕した。で、案の定、港町駅でいつものようにジャケトの写真を撮る。

次はマフラー探し。大阪時代の苦い思い出があるマフラーを昨年全部捨ててしまったので、最近襟元が寒くて。2週間ぐらいすっとオイラ好みのものを探していたが、見つからず。やっと出逢えた。ちょっと嬉しい。

ランチは大森西友内のインド料理「Shakti」でランチバイキング。いつもなら大森キネカに50円割引のチケットがあるので、 930円なんだけど、その割引チケットがなく、泣く泣く980円。その代わり写真のセットを3回食べた。質(それほど悪くない)より量、ダイエットを忘れ腹が苦しくなるほど食べた。

食後は大森キネカで映画「ベトナムの風に吹かれて」を観る。介護とベトナムという二つのキーワードがこの映画を観た理由。意外にもベトナム在留日本兵の話やベトナムの大女優が認知症~最期を迎える話も織り込まれていて、まぁ、わるくはなかったかな。音楽はトホホ..松坂慶子のアオザイがもう少しセクシーでもよかったかなぁ。客は100%中高年以上。たぶん、オイラが一番若かったと思う。

介護職は盆 暮れ 正月なし。明日から12月。ちょっとリフレッシュできたので、良しとするか。泥酔。

2015年11月29日日曜日

<11月28日、今年最高の一日だった>

エル・スールレコーズへ行くと、先客でYさんがいた。先日の家宝級の写真をもらう。スウエーデン人の美女の前でアバの「ダンシング・クイーン」を歌って踊ったことで、オイラが「面白い人ね..」になったようだ。オイラの影響か、彼女が家宝級のあとにカラオケへ行って「ダンシング・クイーン」を歌ったという話が最高に楽しかった。

少しすると師匠が登場。糖質ダイエットの話をする。正直、オイラもこのダイエットを続行するか、いま悩んでいる。ホネカワスジエモンになり過ぎた。ジムの風呂を上がって自分の体を鏡で見るとヨボヨボの爺さんに見えるのだ。痩せるのもいいが、年相応の肉体にならないと、しかし、洋服のサイズが....トホホ...

次にシャバコが登場。エルスール顧客の中では一番マメに通う若手だ。相変わらず、お酒が入ると豹変する。昨夜も師匠の股間を触ろうとしていた。宇宙一醜い写真を撮ってやった。

ちびちび飲んでいると外人さん団体が入店。聞けば、アルジェリア人(ベルベル系)の歌手の人であるようで、ライブのあとに店に寄ったようだ。ラシッドさん、めちゃカッコいいので写真を一緒に。ファンになりそう。弟さんが神戸でアルジェリア料理店をやっているみたい。この弟さんのなんちゃって関西弁が痛快だった。オイラも大阪在住時に同じようななんちゃって関西弁を操っていたから余計に楽しかった。一緒にいた方(フランス人)のストールが可愛かったので、褒めてたらそのストールをプレゼントされて感激してしまった。オイラもそんなダンディなオヤジになりたいと...

また、少しすると、今度はインドネシア・レコ(ロカナンタ10吋 )を持参された方が入店。そのレコを肴に師匠と久しぶりにインドネシア・レコの話をした。有意義だった。

と、携帯がなる。そう、昨夜のメーンは憧れのRさんとの初デート。お店をどこにしようか、悩んだ挙句、「なるきよ」にした。あいつには、いろいろ世話になってるし..いや、彼にレコードを売って飲み代をまけてもらおうという、セコイ魂胆もあった。Rさんとのお話、いろいろたのしかったなぁ、いただいた和菓子もおいしかった。最高の夜だった..と言いたい所だが、オイラが「なるきよ」に行くことをエルスール店長に話してしまったので、オイラとRさんがいい雰囲気で飲んでいると、店長と師匠が店にやってきた。なんだか、保護者に見守られてる初デートのようだった。 でも最高!!美味しかったし。

帰る時になるきよにお弁当をもらう。しかし、この家紋?は何なのだ。あいつらしいとほくそ笑む。

一日にこれだけ楽しい方々にお会いできて最高の一日だった。くしくも母の命日だった。

残念ながら、エルスールでスマイリーオオタケさんにお会いできなかったのが、悔やまれるが..

2015年11月15日日曜日

昨夜、久しぶりにエルスールでSさんに逢う。このアルバムが好きということで、さすがだなぁ、と思った。新橋のおもしろうそうな飲み屋を教えてもらったり、短い時間だたが、有意義な会話だった。Sさんが着ていたGAPのコートがかわいかったなぁ、男性用らしくオイラもほしくなった。
 
是非、インドネシア・カセット争奪戦金沢杯をお願いしたい。なぜならオイラの周りには30代~40代前半の人達で古いカセットをさがしている人達が10人ぐらいいる。残念ながら彼はら世代的にインドネシアのカセット文化を体験できなかった人達。何とか次の世代に繋げていくためにもお願いしたい。
 
そういえば、オイラは羽田空港時代、ボンバ・レコードの面接をうけて、見事に不採用だったのだ(笑)

2015年11月5日木曜日

1995 8.19 Live Di JAKRTA
この日、モナス周辺では独立50周年を祝うべく、いくつかのステージが作られた。各々のステージでは様々なミュージシャンがライブを行う。我々ジャカルタ兄弟は運よく、その時が旬のダンドゥット・アーティストがライブを繰り広げるステージに遭遇。いや、ちゃんと情報取集をした結果だった。
個人的には、このライブは四半世紀のダンドゥット人生において最高の一曲だと思っている。後にも先にも、このマイケル・ダンドゥットを超える楽曲、いや、彼女のような踊りを披露するアーティストはもう出てこないだろう。これでムーン・ウォーカーまで踊られていたら気絶していた。オリジナル音源では味わえない、ライブだけの醍醐味だったのだ。ちなみに、司会はイチェ・トリスナワティの元旦那のEDDY SUDで05年に他界。
実は、この10日ぐらい前にも彼女のライブを観ているが、野外の大きな会場だったため、臨場感に欠けた。そこでは彼女と少し話したが、普段はおとなしくてかわいらしくて、ステージとのギャップが...90年代を代表する大好きな歌手の一人なのだ。