2015年10月6日火曜日

全国競艇ソング 第1集



先日、酔って、やふ億を見ていたら、このレコに4700円の値がついて、入札者が一人いた。何なのだ、「和モノ」とかつまらないこと言っている輩なのか、それとも熱心な競艇ファンなのか、どうでもいいけど、オイラは300円でその昔入手した。なぜなら「平和島競艇ソング」が収録されていたからだ。

70年代前半の小学生の夏休み、学校のプールがない時は、ひたすら平和島プールに通っていた。当時、平和島温泉の隣にあった、ウォーター・スライダーがあったプール(名前忘れた)は、入場料が高くて行けず、もっぱらその先にある区営プールだった。100円。ちなみに、この区営プールには、芝生のくつろげるスペースがあって、若いアベックの女性の方が、乳ポロリをしていたのは、今でも忘れられない。

プールに行く途中に橋があり、そこからよく競艇開催時に上記ジャケのような光景が観れたのだ。プールの帰り、よくその橋の上でオヤジ達を観察していた。いや、オヤジ達が捨てる赤鉛筆を拾いに行ったのだ。学校で使おうと思って...

競艇場に入らないのか、入る金がないのか、よくオヤジ達がその橋の上からやれ、「させ」「まくれ」「かませ」と怒鳴っていた。小学生だったオイラ達は何を言っているかわからず、「でも、何かたのしい」という実感があって病みつきになった。

ある夏の日のプールの帰り。友人がオイラにささやく。「あれ?あの人、プー(オイラの小学校のあだ名)のオヤジじゃねぇの」よく見ると、オイラの父親だった。当時、オイラの父親は失業中だった。今から思えば、大森の職安へ行った帰りなのかと思うが、その時は「母ちゃんがパートで頑張っているのに」と泣きながら帰ったのを覚えている。

「出るか大穴 好レース「さし」と「まくり」の平和島 」 平和島競艇ソングの歌詞を聴くたびに、その時の光景がよみがえってくる。いいも、悪いも70年代前半だ。

第2集があるのか、オイラはしらない、いや、興味がない。

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